コンテンツにスキップ

【第4章】 アメカジ 覚えておきたいミリタリーウェアの誕生秘話 <A-2フライトジャケット|N-1デッキジャケット|M-43フィールドジャケット>

こんにちは!アメカジセレクトショップHELICEのアメ子です。

アメカジといえば、「ミリタリーウエア」にどハマりする方、多いのではないでしょうか。

今回は、そんなミリタリーウエアの誕生の歴史を深ぼっていきます!

<目次>
第一部 アメリカでアメカジが生まれるまで
 第1章 アメカジとは何か
 第2章 開拓時代とジーンズの誕生
 第3章 ワークウェア黄金期 前編・後編 
 第4章 ミリタリーウェアの誕生 ←ここ!
 第5章 映画・音楽と若者文化
 第6章 アイビー・プレッピー・ヒッピー文化
第二部 日本でアメカジが文化になるまで
 第7章 GHQとアメリカ文化の流入
 第8章 VANとアイビーブーム
 第9章 渋カジ・古着ブーム
 第10章 雑誌が育てたアメカジ文化
第三部 日本が世界一のアメカジ大国になる
 第11章 岡山デニムと児島
 第12章 レプリカブランド誕生
 第13章 日本アメカジブランドの思想
 第14章 世界が評価するMade in Japan
 最終章 HELICEが伝えたいアメカジ文化 


ミリタリーウエアの代表カラー

ミリタリーウエアは、武器と同じ「装備」の一つ。

ワークウェアが「労働者の経験」から進化したように、

ミリタリーウェアは「兵士たちの経験」から進化していきました。


機関銃や長距離ライフル、大砲の性能が飛躍的に向上すると、

目立つ色の軍服は、兵士自身を危険にさらすことになります。

 

実際に伝統を重んじ、赤のズボンと濃紺のチュニックという、

非常に目立つ明るい軍服を着て戦場でたフランス軍は、敵から格好の標的に。涙

1日だけで3万人近くの兵士が戦死するなど壊滅的な被害を受け、

その後、目立たない「ホライゾン・ブルー(青灰色)」の軍服へと変更されました。


軍服は「国の名誉」から、より実践的な「隠れる服」として変わり、

カーキやオリーブドラブ、といった自然に溶け込む色が採用されるようになりました。


空・海・陸、それぞれに必要な服

戦場と一口に言っても、その環境はさまざまです。


空を飛ぶパイロット。

艦船の甲板で作業をする水兵。

泥濘の戦場を歩く歩兵。

彼らが直面する環境はまったく異なります。


それぞれの環境下だからこそ、特異なミリタリーウェアが生まれました。


1つずつ、今なお、愛されるジャケットを見てきましょう!


空を飛ぶ兵士たち A-2フライトジャケット

1930年代。

飛行機はまだ、現在のように快適な乗り物ではありませんでした。

コックピットは密閉されておらず、高度が上がるにつれて

氷点下30〜40℃以下になるほど気温は急激に下がります。


猛烈な風が身体を打ちつけ、金属製の機体は外気で冷え切っています。

厚手のセーターだけでは寒さを防ぐことはできず、兵士たちは凍傷や体温低下と戦いながら任務に就いていました。


こうした環境の中で誕生したのが、アメリカ陸軍航空隊の標準飛行服として採用されたA-2フライトジャケットです。


馬革や山羊革などの丈夫なレザーを用い、冷たい風を通しにくい構造と、身体に沿うシルエットを採用しました。


袖口や裾にはリブを設け、風の侵入を防ぎます。

胸ポケットは、飛行中でも必要な物を取り出しやすい位置に配置されました。


今日ではレザージャケットの代名詞ともいえるA-2。


原点は空を飛ぶ兵士の命を守るための装備でした。

誕生から80年以上経った今でも、そのデザインは完成形として評価され続けています。


海の男たちが選んだN-1デッキジャケット

一方、海軍には海軍ならではの過酷な環境がありました。


冬の甲板では、海風が容赦なく吹きつけます。

海水を浴びた服は冷え切り、風によって体温は急速に奪われます。

さらに、甲板は常に滑りやすく、重い弾薬や機材を運ぶ作業が続きます。

海軍兵士に必要だったのは、濡れても耐えられ、風を遮り、動きやすい服でした。


その答えとして誕生したのが、N-1デッキジャケットです。


表地には高密度に織られたジャングルクロスを使用し、冷たい風を防ぎます。

裏地には保温性に優れたアルパカ混ウールが用いられ、甲板での長時間作業を支えました。


襟を立て、チンストラップを留めれば、首元から冷気が入り込むのを抑えられます。


今日では「武骨で格好いいジャケット」として人気が高いN-1デッキジャケット。

極寒の海で働く兵士たちが求めた機能、その積み重ねが形になった結果なのです。


陸軍が追い求めた「動ける服」M-43フィールドジャケット

地上で戦う兵士にとって、最大の敵は寒さだけではありません。


雨、森、市街地、、

戦場は刻々と姿を変えます。


そのため陸軍では、状況に応じて重ね着ができる「レイヤリング」という考え方が発達していきます。


大きな四つのポケット。

ゆとりのあるシルエット。

防寒着を内側に着込める設計。


一着だけで完結する服ではなく、環境に応じて組み合わせるという発想でした。

M-43フィールドジャケットによって、任務別に開発されていた軍服を統一することが可能になりました。


軍服は戦争が終わっても消えなかった

1945年、第二次世界大戦は終結します。

兵士たちは故郷へ帰り、多くの軍需工場は、民間向け製品の生産へ切り替わりました。


しかし、軍服そのものが姿を消すことはありませんでした。

大量に生産されたミリタリーウェアは余剰品として市場へ流通し、サープラスショップには手頃な価格で並ぶようになります。


丈夫で、機能的で、しかも安い。


元兵士だけでなく、学生や労働者、アウトドア愛好家たちも軍服を日常着として取り入れるようになりました。

軍服は「戦うための服」から「暮らしの中で着る服」へと役割を変え始めます。


ファッションは、戦場から街へ

1950年代になると、戦後復興とともにアメリカ社会は豊かさを取り戻していきます。

若者たちは、軍服を軍人の象徴としてではなく、その無骨な機能美に魅力を感じるようになりました。


やがてハリウッド映画や雑誌を通じて、ミリタリーウェアは世界中へ広がっていきます。

A-2はレザージャケットの定番となり、N-1は冬のワークスタイルとして受け入れられ、

M-43は、後のM-51、M-65へと受け継がれていきます。


第1〜4章までのまとめ

ジーンズは、働く人のために生まれました。

ワークウェアは、アメリカという国を築く人々を支えました。

そしてミリタリーウェアは、極限状態に置かれた兵士たちの命を守るために進化しました。


そして、それらの服は、第二次世界大戦後、

豊かさを手に入れた若者たちが「自己表現」として身につけ始めたことにより、ファッションへと変わっていきます!!!


映画、ロックンロール、ハリウッドスターが

アメリカンカジュアルをどのように世界中の若者へ広めたのか、

次の章からは、その物語をたどっていきましょう!


第5章 映画・音楽と若者文化」に続く


HELICE (ヘリス)
359-1117  埼玉県所沢市有楽町14-15
アメカジを軸に、素材・技術・意匠にこだわりを持つ日本のブランドをセレクトしています。
日本には、長い歴史の中で培われてきた技術があります。
素材を知り尽くした職人の手仕事。
細部に宿る美意識。
そして、つくり手の想いと誇り。
丁寧につくられ、着るほどにその魅力を感じられる。
そして、長く大切に着たいと思える服。
日本のクラフトマンシップから生まれる、そんな一着を、丁寧にお届けします。